ミシシッピバブルとは?
ミシシッピバブルは、フランスのルイ15世の時代、18世紀初頭に北アメリカに植民地を有していたフランスが立てたミシシッピ川周辺における開発貿易計画で、発行された株式がバブルを引き起こし、会社の業績が極端に悪いのに発行価格の40倍にまで株価が暴騰する事態を招き、その後大暴落したことを言う。
チューリップバブル(オランダ)や南海泡沫事件(イギリス)とともに、三大バブル経済の例えとして知られる。
「ミシシッピには金鉱があり、ボロ儲けできる」
当時この噂に多くの人は熱狂した。
ルイ15世の時代、フランスはアメリカ・ミシシッピ川流域を中心としたルイジアナを植民地としていたが、当時は資源も産業も乏しい荒れ野だった。
ミシシッピ会社はその独占開発権を持つ国営企業で、実態のないペーパーカンパニーだった。
ところが政府が、金鉱を掘り当てたなどと宣伝して、この会社の株式の販売を始めたところ大人気となり、株価が急上昇し、価格は40倍まで上昇した。
1720年に起こった「ミシシッピバブル」は、チューリップの球根が高値を呼んだオランダの「チューリップバブル」、イギリス政府が売り出した南海会社の株価が暴騰した「南海泡沫事件」と並ぶ世界三大バブルの一つだが、その規模と経済に与えた影響は桁違いに大きかった。
ミシシッピバブルの首謀者は中央銀行
ミシシッピバブルの首謀者はジョン・ロー、時の財務総監であり、「バンクロワイアル」という事実上の中央銀行の創設者でもあった。
ローは、自らの「経済政策」を政府に売り込んでルイ15世に気に入られ、強大な権力を手中にする。
債務の株式化の仕組みが作られた
ローは、膨大な借金を国債発行で賄っていた政府の救済策として、ミシシッピ会社の株式売却を行った。ローは販売促進のために、購入代金を国債で支払えるようにした。
これは債務と株式を交換する「債務の株式化」(Debt Equity Swap)というローが作り上げた手法で行われ、これは現在でも活用されている。
当時の国債は信用力が無く、額面を大きく割り込んでいたが、株式購入時には額面価格で使用できるとしたため購入希望者が殺到し、ミシシッピ会社の株価は暴騰した。
ミシシッピ会社株が売れる
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銀行の通貨発行量(紙幣)が増える
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ミシシッピ会社株の価格が上がる
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更に銀行の通貨発行量(紙幣)が増える
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政府債務とミシシッピ株の転化
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政府債務がなくなり、通貨が市場に溢れて、フランスが空前の好景気となる
これによって大金持ちが続出し「ミリオネア」という言葉もこの時に誕生した。
株価上昇に伴って、紙幣も大量発行され、これがさらに株価を押し上げるスパイラルが起こることになった。
額面500リーブルのミシシッピ会社の株式は瞬く間に10,000リーブルを突破し、これによって国債残高も激減して政府は歓喜したが、実は中身はからっぽだった!!
当然こうした状況が続くはずはない。
・金は見つかったのか?
・そもそもミシシッピ会社は何の会社なのか?
という素朴な疑問が多くの人が持ち始めたときからミシシッピ会社の中身が判明すると株価は一転して暴落し、経済は大混乱に陥ることになった。
株価は高値から1/40まで暴落し、多くの人が一文無しになった。
そして投資をして大損をした人々の怒号の中、ローは国外へ逃亡することになる。
国家を放漫経営していたトップが悪いのか?
ローの行った方法が間違っていたのか?
バブルに乗っかり楽して儲けようとした投資家が悪いのか?
それぞれの立場での論理もある。
歴史は常に繰り返され、同じ過ちが起きている。
マイナス金利の金余りの中での株式市場の成長は、実体経済が伴わなければ、何処かのタイミングで大きく下落をすることになる。
実体経済とかけ離れ、上昇の規模が大きければ大きいほど、その後の下落は酷いものとなり、時代が過ぎてから、あれはバブルだったと言われることになるわけだ。
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