恐慌特集

チューリップバブルはなぜ起きたのか?

チューリップバブル

1600年代のヨーロッパでは資産家の間でチューリップの収集がブームになり、1630年代にはオランダだけではなく、ドイツやイギリスの資産家の間でも「チューリップを収集していない資産家は趣味が悪い」と言われるようにまでなっていた。

そして、珍しい品種がとてつもない価格で取引されるようになる。

最高ランクのチューリップ「無窮の皇帝」は、当時のオランダの首都であったアムステルダムで、小さな家が買えるほどの額、1200ギルダーで売買されていた。

その当時の大工の平均年収が250ギルダーだったが、「無窮の皇帝」には一般国民の平均年収の約5年もの価格がついたことになる。

価値の高いチューリップを短時間で増やすのは難しいが、チューリップを育てるのは手間もかからず誰にでも簡単にできた。

チューリップは変異によって異なった模様の種類が生まれることがあり、運良く変異したものを育てて新たな球根を得られれば莫大な富を得られることになる。

株を買うにはある程度の資金が必要だが、球根の売買程度であれば誰にでも行うことができた。こんな背景もあって、普通の一般市民もチューリップの売買をするようになり、チューリップ市場ができるようになった。

貴重な品種の球根は0.5グラム単位で重さが計られて、当時大流行していた東インド会社の株式と変わらないほどオランダ中で一般的に売買されるものとなっていた。

1630年代、パリやフランスの北部で球根の価格が上がっているとの噂が立ち始めることで、一般市民もチューリップ球根を求めて、チューリップ市場に現れるようになった。

居酒屋で飲んだくれながら儲ける!!

1633年から35年にかけて、オランダ国内で疫病が流行って、職人や労働者の賃金がかなり上がり、大工や配管工、農民、紡績屋(ぼうせきや)、靴屋、パン屋などがそこそこの大金を得ることも珍しくなかった。

そのお金を元にして、ごく普通の一般人が球根を買おうとチューリップ市場に足を運び、チューリップの球根に財産をつぎ込んでいった。

アマチュア球根収集家や大商人など裕福な人は、一般人が球根を買いあさって球根価格がすごい勢いで上りだすと、姿を見せなくなった。

大商人は、当時ヨーロッパ中を夢中にしていた東インド会社などの株に投資をしていて、あくまでもチューリップは趣味として割り切っており、価格急騰を見て収集を止めていたのだ。

チューリップ市場ははじめは相対取引で行われていたが、人数が増えるに従って、居酒屋で、お酒を飲みながらまとめて球根の入札が行われるようになった。

居酒屋はこれを商売のチャンスとして、手数料として3ギルダーを酒代として徴収して利益を上げることができた。

居酒屋でビールを飲み、タバコを吸い、つまみを食べながら、朝から夜まで楽しんだ上で儲かる。

チューリップ投機が最高潮に達した1636年〜1637頃、一日中居酒屋に入り浸って、チューリップの売買をしていた人が数多くいたようだ。

チューリップ球根の先物取引が開始

チューリップで儲けた人は、そのお金で馬車や馬を買い楽しんだ。そしてその頃には球根は実際に受け渡しされなくなっていた。

球根ができるのには時間がかかるため、今花壇(かだん)の中に眠っている次の春に手に入る球根を売ったり買ったりする約束して取引をする先物取引が行われるようになったのだ。

売り手はある品種のある重量の球根を渡すと約束する

買い手はその球根を受け取る権利を持ち、代金は*手形で決済する

球根が手に入る春までの間に、球根を受け取る権利を他人に時価で売る

チューリップ球根の先物取引が始まると、すぐに球根売買のほとんどは売買する球根の実態がないものになった。

球根を先物で売る約束をしていたのが農家ならまだ良い方で、実際はチューリップなんて手元になく球根を手に入れる方法がないのに、先物として球根を売ったりする人が多くなり、実態のないものに変わっていった。

何しろ球根を売っても、実際に球根を引き渡すのが来年の春だから、それまでになんとかすればいいやと多くの参加者が考えていたわけなのだ。

球根を先物で売った人は球根を渡せないし、買った方も手形で決済したものの、実際に球根を買うお金はなかったので、手形は不渡りになるしかないものがほとんどだった。

チューリップの先物契約の頭金のために家や土地を格安で売りに出す人も多かったが、チューリップ価格はそれでも上がっていたので、それにつられるように生活品や、土地や住宅、馬や馬車などの資産の価格も値上がりしていった。

当時のオランダの物価はどのくらいか?

・オランダ人の平均年収は150〜400ギルダー
・小さな住宅の価格は300ギルダー
・かなり大きな庭や馬車置き場の付いている家の価格相場は10,000ギルダー

無窮の皇帝はブームの最中もあいかわらず球根の帝王だった。

チューリップ熱狂が始まる前の1625年には、2,400ギルダーだったのが、熱狂が始まる1633年には5,500ギルダー、ピーク時には10,000ギルダーの価格がついた。

ピーク時には、当時のオランダ人の年収のおよそ30~60年分の給与の値段がついていたことになる。

ちなみに、無窮の皇帝の球根1個の価格は、首都であるアムステルダムの運河沿いで最も高額な家よりも高かったと記録されている。

バブル崩壊は突然訪れた!!

1637年2月3日、何の前触れもなく突然チューリップ価格が暴落した。

隣町でチューリップを買う人がいなくなったという噂が流れ、その翌日、チューリップは価格をいくら下げても売れなくなってしまい、チューリップの先物価格も暴落し、たったの6週間で10分の1に下がったチューリップもあった。

チューリップ保有者は自分の購入金額の1/4でも買い手を見つけることができず、オランダ中がパニックに陥った。

チューリップ球根の代金の手形は次から次へと債務不履行になり、園芸を職業にする人たちは投機家に支払いを求めたが、誰も代金を回収することはできなかった。

お金のそこまでない中流層〜下流層の人は、自宅を担保に入れたり家財を売り払ったりして球根を買っていたので、一瞬のうちに無一文になってしまった。

チューリップバブルが弾けた年、人々は裁判所に駆け込んだため、債務不履行関連の訟訴(しょうそ)が続くことになり、翌年の1638年5月に、政府が合意価格の3.5%の支払いでチューリップの売買契約を破棄できると宣言し、混乱は収束した。

オランダ中が大混乱になったが、後にフランスやイギリスで起こったミシシッピバブルや南海バブルとは違い、経済危機を引き起こすようなことはなかった。

これは当時の経済の中心であった大商人などが、既にチューリップ熱気が始まった時点で手を引いていたからだと考えられる。

チューリップ・バブルに起こったことを時系列的に並べてみると、全てのバブルにおいて、人の取る行動は同じであり、歴史が繰り返されていることがよく分かる。

これを教訓として活かし自らに活かすことが、洗練された投資を行う肝であることは間違いなさそうだ。

世界3大バブルとも言われている残り2つについては下記の記事も見て欲しい。

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チャーリーTAKA
日本を代表する投資家兼実業家でもあり、グローバル・チーフ・ストラテジストとして活躍中。
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