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アメリカとイラン敵対の歴史を振り返る

アメリカイラン

トランプ大統領の命令で米軍がイランの革命防衛隊のソレイマニ司令官らを殺害したことで、両国間で緊張が高まっている。

1月8日、イランはイラク国内の米軍基地をミサイルで攻撃し、報復の連鎖と中東情勢のさらなる不安定化が懸念されている。

今の時点で、アメリカとイランの敵対の歴史を振り返り理解する必要があるだろう。

パフラヴィー2世がアメリカと接近

戦前のイランは今とは違い、シャー(国王)が支配する王政の国だった。

第2次大戦期、国王レザー=ハーンはナチス・ドイツに接近したことで、イギリスやソ連の反発を招き、退位させられ、代わって国王となったのが、レザー=ハーンの長男パフラヴィー2世だった。

パフラヴィー2世は親英・親米路線だったが、これに国内の民族主義勢力が反発することになる。(※民族主義とは、外国勢力からの解放、独立を目指す考えをいう。)

その当時、イギリス系の石油会社がイランの石油利権を独占しており、それをイランの手に取り戻そうという抵抗運動が強まっていた。

1951年、イランでは民族主義者のモサデグ氏が首相に就任し、モサデグ首相は石油の国有化を宣言した。そしてイギリス系のアングロ=イラニアン石油会社を接収した。

こうした動きにイギリスやアメリカは反発し、1953年、米CIAなどの工作によりイランでクーデタが発生し、モサデグ首相が失脚し、パフラヴィー2世が再び実権を握ったのだ。

当時は東西冷戦下でもあり、パフラヴィー2世はアメリカに接近していった。

イランは1955年に結成された反共軍事同盟である中東条約機構に参加をした。

アメリカとしても、イランを中東における“反共の砦”にしたかったわけだ。

モサデグ失脚で石油国有化も頓挫した。石油の利権はイギリス、アメリカなどの国際石油資本(メジャー)が実質的に支配することになった。

白色革命

モサデグ失脚後、パフラヴィー2世はアメリカとの結びつきを強めていく。

1963年からは白色革命と呼ばれる近代化政策がはじまり、農地改革や国営工場の民間払い下げ、女性参政権、識字率の向上などが図られ、この白色革命は王権による上からの強権的な西洋化、近代化だった。そのため宗教勢力や民族主義者などが反発することになった。

しかし、改革に反対する勢力は秘密警察に弾圧され、言論や思想の自由も封じ込まれてしまった。

パフラヴィー2世は、豊富な石油マネーをもとに軍備拡張やさらなる近代化を進める。

1973年の第3次中東戦争をきっかけとした第一次オイルショックの後、石油価格が高騰したことも背景にあったのだ。

急激な近代化は、貧富の格差を広げることに繋がり、都市には地方から農民が流入し、農村は疲弊していった。そのような中でインフレが発生し、国民の間では次第に経済的な不満が高まっていくことになる。

イラン革命(1979年)

パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、やがて革命を招く。

1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生らによる反政府デモが弾圧される。これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火していった。

1979年1月、パフラヴィー2世はついに国外に脱出し王政は崩壊した。

そして同年2月、フランス・パリに亡命していた宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国した。

反体制勢力は王党派を駆逐し、新たにイスラム原理主義、反米路線を掲げる新政権が樹立され、イラン=イスラム共和国が成立したのだ。

革命前までのイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本のような存在だった。ところがイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定することになったのだ。

米大使館人質事件とイラン=イラク戦争(1980〜88年)

ホメイニ師を最高指導者とするイラン新政権は、中央条約機構から離脱するなど反米政策を進めていく。

さらには、イランから逃れたパフラヴィー2世の受け入れをアメリカが認めたことで、ホメイニ支持の学生たちがテヘランのアメリカ大使館を襲撃した。

1年以上も大使館員とその家族52人を人質にとる、アメリカ大使館人質事件が発生。

当時、アメリカの民主党選出のカーター大統領は救出作戦を指示するも失敗し、この事件がきっかけとなり、カーター政権は1期4年で終わり、共和党のレーガン大統領が誕生することになる。

イラン革命後、イスラム教の宗派でスンニ派が優位の近隣国は、シーア派系住民による革命が広がることを懸念する。

隣国イラクのサダム・フセイン政権はアメリカの支援の下、革命の混乱に乗じてイランに侵攻し、このイラン=イラク戦争は8年におよぶ泥沼の戦いになった。

イラン核疑惑(2002)と核合意(2015)

革命後の1980年以来、イランとアメリカは断交が続いているが、対立が一層深まる事態が2002年に起こった。イランの核兵器開発疑惑だ。

イラン側は平和利用を主張したが、アメリカや西欧各国などは経済制裁を実施した。

2015年、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・中国・ロシアの6カ国は、イランと核開発に関する協定で合意にこぎつけた。

イランに求められたのは、核兵器に用いるような高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間生産しないことと、ウラン濃縮に使われる遠心分離機を大幅に減らすことだった。そして、その合意を受け欧米各国は、イランへの経済制裁を緩和することになった。

オバマ政権が締結したイランとの核合意だったが、当時アメリカ国内では共和党を中心に、甘すぎると批判が多数出ていた。

その後就任したトランプ大統領は2018年5月、イランとの核合意からの離脱を一方的に宣言し、制裁を再開した。

直近のアメリカとイランの緊張は、ここが契機になったと言われている。

アメリカの核合意離脱を受けて、イランは2019年5月から核合意の履行を段階的に停止している。

そして、今回イラン政府は、1月5日に核合意に基づくウラン濃縮などの制限をすべて放棄すると表明した。

さらに、アメリカが原子力空母をイラン周辺に派遣するなど軍事的圧力をかけたり、イランが米軍の無人機を撃墜したりと、次第に両国の緊張が高まっていく。

トランプ大統領指示の下、ソレイマニ司令官殺害(2020年)

イラン革命から40年余りがたった今、イランとアメリカの緊張の糸は、またも張り詰めてしまった。

2019年12月末、イラク北部キルクークにあるイラク軍基地にロケット弾が撃たれ、民間業者のアメリカ人1人が死亡し、米軍とイラク軍の複数の軍人が負傷した。

首都バグダッドでもイランの支援を受ける民兵組織の支持者がアメリカ大使館を包囲、投石する事態が発生した。

米軍によるイランのソレイマニ司令官ら殺害のニュースが伝えられたのは、その直後の1月3日となる。

アメリカ側はソレイマニ司令官の影響下にあったシーア派民兵組織が、アメリカ人や米軍施設への攻撃を計画していたことを殺害理由としている。

一方で、2020年11月に大統領選挙での再選を狙うトランプ大統領が、選挙を意識してとった行動ではないかという指摘や、トランプ大統領自身が下院の弾劾決議を受けたウクライナ疑惑から目をそらすために行ったのではないかとも疑問視されている。

トランプツイッター52

ソレイマニ司令官らの殺害後、トランプ氏は、上記のように我々はイランの52の地域を標的にしたと自らのTwitterで発言したが、この52という数字は、アメリカ大使館人質事件での人質の数を意味しているとされる。

イラン問題が失脚につながった当時のカーター大統領のように、今回の件でトランプ大統領自らが統領選に負けるわけにはいかないという意思表示なのかもしれない。

報復の連鎖に歯止めはかかるのか?

1月9日、トランプ大統領は戦争に向けて更に踏み込むことを避ける発言をしたが、両国とも大規模な戦争に発展すること自体は避けたいという思惑はあるだろうが、周辺各国、イスラムテロ組織の反米感情が高まる中では、予断を許さない状況が続くことになる。

尚、下記の記事では戦争が起こった時に為替と原油の価格はどうなるのか?過去の事例を元に書いているので、ぜひこちらも合わせて目を通して欲しい。

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