政治混乱

歴史は必ず繰り返す!幕末の金銀比価問題とデフォルト国の類似性

幕末

アルゼンチン政策金利は48%?

新興国、後進国で それぞれの国の財政が悪化をし、国としての海外からの資金調達力が下がると、圧倒的に外貨が不足することになる。そして外貨不足は国としてだけでなく、企業、金融機関、その国に住む個人に至っても同様のことが起こる。

南米のベネズエラではすでにハイパーインフレが起こっているが、アルゼンチンもかなり危ない状況に陥り、政策金利は1月末の段階で48%となっている。

カルロス・ゴーン氏が逃亡した中東のレバノンの財政状況もかなり悪化をしており、銀行では1,500レバノンリラを1ドルでの交換レートが、街中の両替商では1ドルを得るのに2,300リラを必要としている。

銀行でのドルの引き出しは1週間で200ドルと決められており、さらにはレバノンリラの価値は継続的に下落をしているため、2,300リラを支払ってもドルを求める人が圧倒的に多数になり、街中でもドルが足りない状況が続く。一物二価 同じドルでも 50%以上の価格差がある。

幕末の金銀比価問題をわかりやすく説明

実は幕末の金銀比価問題なども大きく言えば同じような事例となるわけなのが、今の機会に金銀比価問題を改めてわかりやすく解説する。

日本は安政の五か国条約をもって開国したが、その際に日本と外国で金銀の交換比率が違ったことから、日本から大量の金が流出した。これが幕末の金銀比価問題である。

日本は鎖国を行っていたが交易はしていた。幕府は長崎を窓口としてオランダと清、対馬藩を窓口として朝鮮、薩摩藩を窓口として琉球王国、松前藩を窓口としてアイヌと交易をしていた。

鎖国政策で一番よく知られる要因としてキリスト教や、スペイン・ポルトガルなど幕府に反する思想を持つ宗教や国とのかかわりをなくすことが挙げられる。しかし、鎖国の意図は他の藩が貿易によって富を築き幕府にたてつかないようにするところにもあった。

幕府には自身が直轄地である長崎で貿易を独占することで、貿易による富を集中させたいという思惑がある。鎖国政策は幕府の強力な貿易統制システムといえるため、国政上の問題があったときには幕府側から貿易を自由に統制できた。

海舶互市新例とは?

例えば、1715年に江戸幕府が定めた海舶互市新例が挙げられる。当時の日本は銀や銅が主要な輸出品目でしたが貿易額が増加していく一方で国内の銀の産出量は減っていった。そのため、幕府は海舶互市新例を定めて日本から流出する銀の量を制限していた。100年間その体制をずっと維持し続けて貿易していたため、日本の一般人はもとより幕府でさえも金銀比価に関する観念は強く持ち合わせていなかったとまで言われている。

そして、日本は安政の五か国条約をもって開国した。

安政の五か国条約には条文と貿易章程が添えられている。有名な条文は「領事裁判権を認める」、「関税自主権がない」だが「自由貿易を行う」という条文も大切なポイントとなる。

日本では貿易統制を敷いていたが、海舶互市新例のように銀の流出を抑えるような法律も自由貿易のもとでは役に立たない。もちろん、金と銀の交換について規制する条文などなかった。さらに100年という時間のせいで金銀比価に対する問題意識は幕府にはなかったのだ。

日本の金銀比価はおよそ金:銀=1:5で、
外国の金銀比価は金:銀=1:15だった。

日本では銀貨5枚で金貨1枚と交換できたのだが、外国では金貨1枚手に入れるのに銀貨が15枚も必要であった。外国商人からすれば本国で銀貨15枚を使っても金貨は1枚しか手に入らないが、日本で交換すれば金貨3枚も手に入るわけである。そして、それを本国に戻って金貨3枚を交換すれば銀貨は45枚にもなった。銀貨15枚が銀貨45枚に増えることになるわけである。

金銀比価の違いを発見した外国商人は日本で金と銀を交換し大量の金が日本から流出していった。これが金銀比価問題である。

さすがの幕府も大量に金が流出し始めて金銀比価問題に気づいた。日本から大量に金が流れては日本全体の富が減ることになり、日本は外国にどんどんお金を奪われ貧しくなっていく。

悪貨は良貨を駆逐する

そして、それに対して幕府がとった対策は貨幣改鋳だった。現存の小判が含有する金の数を減らして外国の金銀比価に揃えようとした。

その時に出来たのが万延小判である。万延小判を作ってから金銀比価はほとんど等しくすることに成功し金のさらなる流出は抑えることができた。

しかし、貨幣改鋳の影響は国内経済に大きな影響を与えた。金の含有量が減るということはそれだけ小判の価値は低下するということになり、結果、貨幣の価値が下がり深刻なインフレーションが発生した。これによって日本経済は大混乱を起こした。

経済界の大混乱は経済界にとどまらない。金銀比価問題に端を発した貨幣改鋳は経済の混乱から社会不安に及ぶことになった。外国との貿易が原因で社会の混乱を招いたことは当時盛んであった外国人排斥運動である攘夷運動を激化させる要因の1つになった。

攘夷運動、実は金銀比価問題が要因で起こった

生麦事件、イギリス公使館焼き討ち事件(ともに1862年)が発生し、生麦事件にいたっては処理が失敗して薩英戦争にまで発展している。長州藩も四国艦隊下関砲撃事件(1864年)を引き起こすなど他国との武力衝突を起こす原因の一つとなったのである。

金銀比価問題はただの金の流出問題だと考える人も多いだろうが、日本の政治を大きく変える要因の1つになる大きな問題であった。

マイナス金利が世界的に広がる中で、過去に例のない金融緩和を続ける日本。新型コロナウイルスの影響でマイナス成長が続けば、更なる金融緩和を続けると日銀も発表している。しかし問題の先延ばしでは何も解決できないことは過去の歴史が物語っている。

その先に待ち受けているものはなにか?

金利の急上昇、金融機関の破綻、日本円の下落、株式市場の大暴落、社会保障制度、年金制度の条件悪化、税率の引上げ、可処分所得の低下、貧困層の増加・・・・・

全てがマイナススパイラルとして繋がっていく。

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