多くの難民を生み出したロヒンギャ問題とはなんなのか?
新型コロナの影響で難民船の受け入れは各国から拒否され、タイではミャンマー人の不法労働者のコロナ感染も広がっており、ロヒンギャ難民の可能性もある。
その発端や現状、難民に対して行われている支援などについて解説を進める。
200万人のロヒンギャ
ロヒンギャという言葉が指すのは、ロヒンギャ語を話すミャンマーのイスラム系少数民族のことを指し、英国内務省の2017年の資料によると人口は推定200万人とされている。
ミャンマーのバングラデシュに近い地域に居住していたロヒンギャ族は、現在はバングラデシュに避難していたり、ミャンマーに戻ったりしているために居住地域は両国にまたがっている。ロヒンギャの難民問題は近年問題が深刻になっており、その歴史は第二次世界大戦後までさかのぼる。
ロヒンギャ難民問題の始まり
1948年、ビルマはイギリスから独立し現在のミャンマーとなった。ビルマ西部に位置するラカイン地方から選出されたムスリム議員が複数存在しており、ロヒンギャの保護を主張していた。当時の政権は、ラカイン北西部にあったロヒンギャ集住地域を中央政府の直轄地にして、ラカイン人仏教徒から彼らを保護しようと考えていたのだ。
しかし、1962年に起こった軍事クーデター以降、状況は一変することになった。国軍主導のビルマ民族中心主義と、それに基づく中央集権的なビルマ式社会主義によって、ロヒンギャに対する扱いが急速に差別的になった。不法移民対策と称してロヒンギャ族への抑圧を強め、その結果、1978年には20 万人から 25 万人規模の難民流出を引き起こすこととなったのだ。
1982年に法改正が行われ、改正国籍法が施行された。これにより、ロヒンギャは正規国民でないことが合法化した。つまり、ロヒンギャであることを主張する人は一律に外国人とみなされる法解釈ができあがったのだ。ロヒンギャは正式に非国民であるとされ、国籍がはく奪された。
ロヒンギャの迫害
当時ビルマの民主化運動を先導していたアウン・サン・スー・チーをロヒンギャの人々が支持したために、軍事政権は軍隊をロヒンギャの人々が住む地域に派遣し、財産を差し押さえて身柄を拘束した。そしてインフラ建設などの重労働を強制させるなど強烈な弾圧が始まった。
1991~92年、1996~97年にも約30万人の人々が国境を超えてバングラデシュに避難したが、バングラデシュはロヒンギャの人々を自国民とは認めず、ビルマの民族集団であると主張し、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の仲介事業によってミャンマーに再帰還させた。
ロヒンギャ難民の増加
2012年の6月にはロヒンギャとアラカン仏教徒との間に大規模な衝突が起き、200人以上の死傷者が出た。さらに13万人以上のロヒンギャが住む場所を失い、政府によって難民キャンプに強制的に移動させ、そこから出られないような措置がとられた。
さらに仏教徒過激派組織などを中心にロヒンギャの排斥、国外追放の暴動がしばしば起こり、ミャンマーの軍総司令官は、ロヒンギャはミャンマーの国民、民族ではなくバングラデシュからの不法移民であると公式に表明している。
また、バングラデシュからもロヒンギャは不法移民として扱われている。タイやマレーシアなどの周辺の諸国でもロヒンギャは、経済移民であって難民ではないとしている。
2014年に実施された人口調査では、ロヒンギャはベンガル人だと認めない限り調査の対象から外され、さらに臨時国籍証をはく奪して、審査対象中というカードをかわりに与えた。これによりロヒンギャは、事実上の無国籍者となった。
ロヒンギャがなぜ迫害されているのか、難民となっているのか、これは古い歴史が絡んでいるために根深いものとなっているのだ。
ロヒンギャは世界大戦時にイギリス軍側として日本軍側のアラカン人と激しく衝突した経緯もある。ムスリムであるロヒンギャと仏教徒であるアラカン人という宗教の違いもある。それらが複雑に絡んでビルマ(ミャンマー)が市民権法を制定して国内を整えていく際に国民として認められなかったことが現在まで響いているのだ。
ビルマからは国民として認められず、バングラデシュなどからも不法移民としてしか扱われなかったために、どこの国からも保護されていない状況になってしまったのである。
ロヒンギャ難民の現状
2015年ごろからはミャンマーから海路を使って流出するロヒンギャが激増した。
バングラデシュ、マレーシア、タイ、インドネシアなどの周辺国は基本的に経済移民として扱っており、難民としての受け入れを拒んでいる。
また、国連がロヒンギャに市民権を付与することをミャンマーに要求し、国際世論のなかでもロヒンギャを支援するような動きが活発になると、ミャンマーではこの動きに強く反発し、ロヒンギャに標的を絞った人口抑制保健法を制定し、ロヒンギャ国外追放のデモが行われるようになっている。
2015年5月にはタイのバンコクでロヒンギャ対策会議が開かれた。この会議には直接ロヒンギャが流出しているタイ、マレーシア、インドネシアなどの関係国17ヶ国だけでなく、日本、アメリカ合衆国、UNHCR、国際移住機関(IOM)などがオブザーバーとして参加した。
この中では、ミャンマーが責任を負うべき問題であり、究極的にはロヒンギャらに市民権を与えることだとミャンマーを激しく批判したが、ミャンマーは、ロヒンギャはバングラデシュからの不法移民であるという主張を一貫した。
2017年になるとイスラム諸国連合(OIC)はマレーシアにおいて緊急に外相会議を行い、ミャンマーに対してロヒンギャ問題の事態を収束させる共同声明と寄付について表明した。しかし、これからの後もロヒンギャ武装勢力とミャンマー治安部隊の衝突は断続的に行われており、そのたびに死者が出ている状態になっている。
2018年、2019年と国連からはミャンマーに対して人道的な解決を求める意見が多く出されているがミャンマーはベンガル人のテロリストによる脅威を治安部隊が鎮めているという姿勢を崩しておらず、未だ問題は解決されず、難民が出続けているという状況になっている。
難民問題はアフターコロナでは世界に広がる恐れがある。
アフターコロナの世界、欧米では人種差別も実際に起こっている。各国の失業率は急激に悪化しており、移民・難民に対する問題は表面化する可能性が高い。
人種差別が経済を縮小させる
経済が継続的に縮小すれば、株価は継続的に下落するリスクも高くなる。資源国通貨、新興国通貨はさらに下落をする恐れもある。ひとつの難民問題から巻き起こるリスクについても継続的に理解を深めていく必要性が高いといえるだろう。