35歳 人に投資をする
自己破産後、自らが社長として全面に立つことはせず裏方に回ることに専念しようと考えました。しかし様々なビジネスの新しいアイデアが湧き出てくるため、それを実行するために、人に投資を行うことになりました。
様々な信頼のおける人からの紹介で、若くて行動力、実践力のある人間、社長をしたいけど儲かるビジネスがわからない、作れない人間をどんどん紹介を受けたのです。そして実際にその後10社近い会社を作り、それぞれ別の人間に社長をしてもらいました。
自分なりのビジネス成功の法則というものが当時ありました。5人以下の組織であれば、一定の水準の人間ならばそれをまとめる事はできる。それであれば会社を大きく拡大させるより、別々の会社を小さくしっかりと育てた方が、リスク分散にもなり良いのではないかというものです。そして実際にこれがうまくいきます。
社長との条件は全て折半です。余分な経費は一切使わず、旅費も食費も全てそれぞれ持ち。利益を最大化させた上で、それを毎月折半するというシンプルな取り決めです。
会社の運営、経営は社長となる人間が行い、自分はビジネスのアイデアをどんどん出し、会社が最大限儲けられるようにするという役割分担でした。多くの会社でこれが上手く周り、多くの会社を日本の上場企業などにM&Aで売却することができました。
36歳 M&A
パートナーの社長とともに作り、育てた会社を売却する。多くの人にとっては、会社への思いも強く、売却という判断は難しいものかもしれません。しかし自分にとっては全く違っていました。
新しいビジネスアイデアは当時幾らでも思いつきましたし、評価高く売れるものであれば売ってまとまった資金を手にしたほうが良いという判断だったのです。あとは税金の問題もありました。毎月の報酬額が増えれば増えるだけ税金もどんどん高くなります。税を抑えて手元に残る現金を最大化するためにはM&Aが効果的だったのです。
36歳 上場企業への最初の売却
作った会社の最初の売却はジャスダックの上場企業でした。先方の銀行出身の営業部長と懇意になり、当時行っていたビジネスとの親和性を感じてもらい、現金での売却を行いました。
売却資金はパートナーである社長と折半しました。自分自身は売却後暫くはお手伝いをしましたが、その後は会社から離れ、お任せすることになりました。そしてその最中には別の会社の売却話も進んでいるのです。
36歳 上場企業への2社目の売却
1社目の売却が進んでいる最中に別の会社の売却の話も上がっていました。40歳までに当時は完全にビジネスから引退し、ハワイでその後をリタイアするという計画をしていたため、事業構築、そして売却をあわせて行っていたのです。
2社目の売却先は日本の新興上場企業でした。先方はIT系企業で社員数も少なく、自社のメインの事業をM&Aで現金売却することが決まっており、新たな収益の柱となるビジネスを探しており、こちらの行うビジネスに白羽の矢が立ったわけです。
飲みの席で決まった売却話
知り合いの社長が仲介する中、上場企業の社長と飲みました。3人ともベロベロになるまで酔っぱらい、その席でM&Aが決定しました。といっても全く次の日も記憶になく、紹介してくれた社長からM&Aを聞いた始末です。身売りされるこちらのパートナー社長には “ 酔っ払って覚えてないけど会社を売ることになったから ” と報告。
社長も唖然としていました。このときの売却は現金半分と先方の株を半分で受け取ることになりました。これはこちらからの要望というよりも、先方に手元現金があまりなく、株で受けてほしいというお願いだったのです。しかしこれが後々功を奏することになりました。
第二次ITバブルの到来
新興市場のIT株の瀑上げが始まったのです。この企業からはM&Aの株だけでなく、事業成績に応じてのストック・オプションも権利としてもらっていたために、これが大きな資産となったのです。
儲かる会社を作り、上場企業へ株式交換で売却する。
これが最も効率の良い投資方法になると理解でき、その後、日本でオーナーをしていた会社は全て売却することになりました。そしてこれにより、新興IT株が大きく上昇したこともあり、大きくまとまった資産を作ることができたのです。
37歳 ライブドア・ショック
36歳のときに行った数々のM&Aでまとまった資産を作ることができました。しかしその殆どは株でした。上場企業の大株主となり、内部情報者の立場でしたので、いつでもその株を売買できるわけではありません。
新興市場がバブル化していましたので、株を担保に他社の株の売買を行い、トレードで大きな利益をあげていました。多い日には1日5,000万円以上の利益を株式トレードで上げる事もでき、まさに自ら輪転機を持っているような感覚でした。
しかし当然これが永遠に続くわけがありません。ライブドア・ショックで日本にある資産のほぼ全てを失いました。株を担保に新興株の信用取引を3倍のレバレッジで行っていましたので、ライブドア関連株の担保率がゼロになったために新興市場が暴落し、全く買い手がつかない中でのストップ安の連続で、本当に全てがあっという間に吹き飛びました。
ただし一度自己破産をした経験もありますので、一部資産を海外に移していました。なんとかゼロからのやり直しだけは避けることができたわけなのです。
投資心得3:バブル崩壊は常に繰り返す
過去の歴史を見てもわかりますが、バブルは必ず繰り返します。金融市場が上昇しているときには、殆どの人が買うだけで儲かります。上昇期間が長ければ、何度も何度も儲けることが出来ます。
そしてそれが永遠に続くのではないかと勘違いにつながり、金遣いが荒くなり、あぶく銭を無駄使いし、結局バブル崩壊後には何も残らないという結末を迎えます。
ほどほどを目指し、常に利確を続けることが大切なのです。
世界中で行った様々な投資④ に続きます。
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